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怖の奴隷風習
※音楽と共にお楽しみください
http://girlsvocallive.com/radio/senjounisakuhana.wav


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日本に20世紀まで実在した「おじろく」「おばさ」という風習をご存知ですか?
長野県下伊那郡天龍村神原(旧神原村)
山林によって隔絶された村では、独自の文化が発生する場合が多い。昔の長野県神原村(現・下伊那郡天龍村神原)もその一つ

このあたりは高山の谷間で平地が極端に少ない。耕地面積が充分とれないから、産めよ増やせよというわけにはいかず、なんとかして人口を制限をしなければ共倒れになってしまう。そこで、この村の人々は奇妙な人口制限法を考えた。

・世間との交際を禁じられ、生涯戸主のために無報酬で働く
・家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っ子や姪っ子からも下男として扱われる
・戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子に出ない限り結婚も禁じられた
・おじろく、おばさ同士で交際することもなく、多くのものは童貞、処女で一生を終えた

家長となる長男より下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男のために死ぬまで無償で働かされた。

もちろん現在の神原では、このような制度は存在しない。ただ明治5年でも190人、昭和40年代に入っても3人のおじろく・おばさが生きていた。

1673年に分地制限令を出し、これに伴って、農民の間でも嫡子単独相続が定着していった。分家の余地がある富農の場合を除き、長男のみが家督を相続するわけだから、必要なのは、長男だけ。

長男以外は田畑を相続できない。また、結婚を制限し人口を抑制するために生まれた風習、それが「おじろく・おばさ」

そんな風習に「おじろく・おばさ」自身は何を思ったのか

「他家へ行くのは嫌いであった。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白いこと、楽しい思い出もなかった」
「人に会うのは嫌だ、話しかけられるのも嫌だ、私はばかだから」
「自分の家が一番よい、よそへ行っても何もできない、働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない」

近所の人と交際することもなく、話しかけても返事もしないが、家族のためによく働いて不平も言わなかったという。
怒ることも笑うこともなく、無愛想で趣味もない。

彼らは人と会うのも話しかけられるのも嫌い、楽しいことも辛いこともなく、世の中を嫌だと思ったこともなく、結婚したいとも思わず、希望もなく、不満もない。

おじろくが村を出ることは非常に悪いことで家の掟にそむくことだ、という考えがあったため、村を出ようと思う者はほとんどなく、まれに出る者があっても人付き合いがうまくできず、すぐに戻ってきたのだそうだ。

彼らは、物心つくまでは長男と同じに育てられるけれど、次第に弟や妹は兄に従うものだ、という教育を受け、将来は兄のために働くのだ、と教えこまれるようになる

成長するに従って兄と違う取り扱いを受けるようになるのだけれど、ひどい仕打ちだと恨まれるようなこともなかったとか。親たちも、長男以外はおじろくとして育てるのが当然だと考えていたので、別にかわいそうに思うこともなかったらしい。

疎外された状況に置かれれば、それにやむなく適応するために人格も変化する

奴隷的な状況が、ある種の精神障害をもたらすのだろう。
おじろく・おばさは無感動のロボットのような人格となり、言いつけられたこと以外の行動は出来なくなってしまう。いつも無表情で、他人が話しかけても挨拶すら出来ない。将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。

劣悪な労働状況によって精神を病んだり、ひきこもりによるコミュニケーション障害など、現在の日本社会につながる部分もある。

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